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昭和23年10月30日福岡県大川市に3人兄弟の末っ子として生まれる。
当時家業は家具製造を手広く営んでいた。
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昭和42年3月 佐賀県立佐賀商業高等学校を卒業。
在学中は、空手、野球、そして歌謡曲、特に村田英雄の歌に慣れ親しむ。
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高校を卒業と共に上京 故郷の大先輩 古賀政男先生の門をたたく。
何度も断わられるが、やがて本人の熱意が通じ入門を許され内弟子として、
庭掃除から運転手、そして一番大事な歌への姿勢、
人との接し方などを徹底的に教え込まれる。
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昭和44年6月TBSのテレビドラマ「新妻鏡」の挿入歌「目ン無い千鳥」でレコードデビュー。
因に、この楽曲は昭和15年、霧島昇と松原操のコンビで歌われたリバイバルもので、
大川の歌は兄弟子アントニオ古賀のB面と
して発売された。大川の歌がテレビから流れると、テレビ局、
レコード会社に問い合せが殺到、以後2年半に渡り超ロングセラーとなる。
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昭和45年4月「目ン無い千鳥」というタイトルの古賀メロディー
のLPを出したのを、手始めに「古賀メロディー第2集」「流し唄」
ユニークな監獄の歌を集めた「孤独の唄」等々発売し、
LP・MT歌手として、地味ながら着実にファン層を広げ、実積を残していく。
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昭和57年8月「さざんかの宿」発売。
発売時より爆発的に売れ続け、6ヶ月で100万枚突破という記録を
作ると共に、大川栄策の名を日本中に知らしめる。
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ニューミュージック・アイドル歌手等によくある、ヒット曲はアルバムからという、
毎年一枚のオリジナルアルバムを出し続ける演歌歌手には、珍しい数少ない歌手である。
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昭和58年度のレコード大賞(ロングセラー賞)他、各民放音楽祭、
有線大賞で様々な賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも「さざんかの宿」で初出場をはたす。
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昭和61年2月新宿コマ劇場で初めて一ヶ月公演を行い、
以降62年・平成2年と歌だけでなく芸居にも意欲を燃やし、
また平成9年1月に東京・2月に大阪と、小椋佳企画・原作・音楽である
「UTAGATARI一休(蓑笠と鼓)」で主役の一休宗純役を演じ、
その熱演熱唱に関係者から好評を得る。
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昭和61年以降、恩師古賀政男先生に多大な影響を与えたという
韓国メロディーに積極的に取り組み、現地取材、
現地録音も含めMT・CD3枚を発売中。
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平成9年、初のCM出演(過去にCM歌唱のみはある)、
また平成10年、お正月映画「のど自慢」出演で
その演技力に関係者から大好評を受ける。
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平成10年、歌手生活30周年を機に、ペンネーム「筑紫竜平」
の名で作曲家として楽曲作りもしている。
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日本舞踊(西川流)にも関心を持ち、スケジュールの合間に稽古に励み、
国立劇場(2年に1回)にて披露している。
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