設置・経営主体名称 | 社会福祉法人 二葉園 | ![]() |
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開設年月 | 昭和23年05月 | |
敷地面積 | 1031m2 | |
建物面積 | 1154.19m2 | |
建物構造 | 鉄筋コンクリート造4階建 | |
利用定員 | 70名 (令和5年7月現在) |
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特別事業保育 | 統合保育・延長保育・ 乳児保育 |
二葉園保育所は明治42年(1909年)まだ厚生省も設置されず法律も制定されていなかった100年も昔に宗派を超えて乳幼児の保育施設として市内の五ヶ寺(南州寺・不断光院・教王寺・浄光明寺・大中禅寺)の住職方が五名で現在の社会福祉法人二葉園を設立されました。勿論、地元鹿児島経済界有志の助力も得て救貧事業として市内労務者の子弟を収容し、無報酬で保育を行ったのが始まりです。
初め市内樋之口町の借家で三人の保育者が30人の乳幼児を預かってスタートしましたが、当時日露戦争の混乱した世相に合致した事業だったので、その日の糧のために働かなければならなかった、母子世帯や低収入の家庭から「うちの子も、うちの子も」と要望され、たちまち手狭になって3年後、新屋敷町に土地を購入、新築移転することになりました。
その後も世相を反映して入園希望者が多く、大正9年(1920年)財団法人「二葉園」として登録、低利資金の融資を受け園舎を改築、ホールなども新築され本格的な基盤を作りましたが明治、大正、昭和と相次ぐ戦争で戦災母子や戦争孤児も多くなり保育所の役割は益々重要となってきました。
しかし昭和20年6月(1945年)の鹿児島市の大空襲で市内も焼け野原となり残念ながら園舎の建物も全焼し、保育も一時休止せざるを得ない状況になりました。それから間もなく8月に終戦を迎え、戦後の混沌とする世情に早急に対応する必要性から、建築資材の調達も非常に困難な中9月には園舎の復興に着手、昭和22年(1947年)3月には新しい建物が完成して再開園しました。同年の5月に児童福祉法により社会福祉法人の認可を受け、保育所に併せて母子家庭を支援する第一種社会福祉事業として位置づけられる母子寮を併設しております。(母子寮は昭和42年(1967年)に廃止)
昭和54年(1979年)、終戦直後の資材不足時に建築された園舎は30年近くを経過し、老朽化や園児の受入れ増加で手狭になったので、防火、防災の安全上から鉄筋コンクリート造り3階建て(延べ702m2冷暖房付)に改築しました。
さらに平成17年(2005年)には定員130名を150名に増員して待機児童の解決及び子育て支援対策の為、園舎の東側に鉄筋コンクリート造り3階建て、延べ面積459m2(屋上は園庭に使用、全室冷暖房)を増築して保育環境の整備・改善を図っております。平成20年10月より定員160名に増員して子育て支援に努めています。(現在は利用定員80名)
★平成20年10月、全国社会福祉協議会より100周年表彰受彰