お焚木様

お焚木様(藤根善治)は上州館林藩の浪人、流浪の後益子の地へやってきました。
享保の大飢饉の折り、藩(代官)と村人の間にたち一身を賭して村人を救った人物です。
藩主への直訴の罪や一揆の首謀者といった理由で本人のみならず、 妻寿江、息子道太郎とともに、斬首に処せられました。
これは代官が独断で行ったことであり、その後代官はこの不祥事の責任を追及され切腹となりました。
村人は藤根親子をお焚木様と尊称し供養をおこたらなかったそうです。

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子育て呑龍

呑龍上人は浄土宗大本山増上寺の観智国師の高第で四哲の一人といわれました。
上人は弘治2年(1556)、武蔵国に生まれ元和9年(1623)に入寂しています。 上人は看経・講義・説法などに力を尽くしたため、上人の徳を慕う学僧が集まり、また周辺農民も上人の教えを学びま した。
一方、乱世後の人心は乱れ、天災等の影響で生活は困難を極めていたため、捨て子や間引きなどの非道が横行していました。
上人は、その非道を憂い、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で受け入れ養育しました。
このようなことから「子育て呑龍様」と呼ばれ、篤い信仰を集めています。(まんが「太田の歴史」より抜粋)
呑龍上人と当山の関係は不祥です。いつから尊像が安置されているのか、これも不明です。

子育て呑龍像

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