お知らせ

感謝
2025/09/11
保護者様よりナスを頂きました!!
丸くてピカピカのナス
早速素揚げにしてうどんのつゆにつけてみんなでいただきました。
身がやわらかくてとてもおいしかったです。
温かいお心遣い感謝です。
ありがとうございました!!

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絵本を頂きました!
2025/09/02
いつも子供たちの月刊誌を届けてくださるこどものともの冨満さん。
絵本が大好きな旭保育園の子供たちのために絵本をプレゼントしてくださいました。
りす~ひつじ組の子供たちに、秋祭りの時にお渡ししたいと思います。
タブレットやスマートフォン、テレビなどがあふれている今の世の中ですが、
子どもたちはいつの時も絵本が大好きです。
クラスで全員に読み聞かせをする時も、自由時間に一人ずつ膝に座らせて読んであげる時も
子どもたちは同じ絵本でも何度でも「これ読んで!!」と
嬉しそうに持ってきては真剣に聞いて楽しんでいます。
絵本を読む時、子供たちの目、耳、頭はフル回転です。
絵本を通して子供たちは言葉の意味や使い方だけでなく
登場人物の感情を感じ取り、沢山の想像力を働かせて情景を楽しみます。
次々と勝手に場面が変わるテレビやゲームでは得られないことです。
また、読んでくれる保育者やお母さん、お父さんとその喜びや感動、気持ちを
共感できることも絵本の大きな役割です。
今、人の気持ちが分からない、人の思いに寄り添えない子どもや大人が増えています。
それはいつしか自分だけが良ければという生き方につながってしまうのです。
旭保育園では、沢山の絵本を通して、子供たちの心を豊かに育む取り組みをしています。
このように子供たちのために、旭保育園を支えてくださる方に感謝です。
ありがとうございます。

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9月の聖句
2025/09/01
 「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない。
                         ~ 詩編第23編1節 ~ 」

今月の聖句は神様を私たちを守り、必要を満たしてくれる慈悲深い羊飼いに例えています。
この聖句で「主はわたし達の羊飼い」ではなく「主はわたしの羊飼い」と言うのは
主がわたし達一人ひとりを大切に慈しんでくださることを表しています。
聖書の中に迷子の子羊のたとえ話があります。この羊飼いは100匹のうち、
迷子になってしまったたった1匹の子羊を見捨てることなく探し続け、探し出して抱きしめます。
この羊飼いの姿はイエス様であり神様なのです。
神様はわたし達一人ひとりを大切に、誰一人失われてはならない命として守ってくださいます。
しかし私たちの人生には必ず死があります。もし、死なない人生なら私たちは幸せでしょうか?
私たちが死なないのなら死への恐怖は無くなりますが、それがどんな状態でも生きていなければ
ならないとしたら、そこには絶望が起こってくるのです。
私たちは、死があるからこそ生きることの意味を大切にし、生きていることへの感謝を知ります。
神様はわたし達に必要なものを全てご存じで備えてくださいます。
神様はどのような時にも私たちを守り導いてくださる方であるからこそ
聖書は「わたしには何も欠けることがない」と語ります。
私たちはつい「あれも無い、これも無い」と不平を言ってしまうかもしれません。
それは、今持っているものでなく、持っていないものに焦点を合わせてしまっているからではないでしょうか。
私たちはいつか死を迎えます。その時に私たちが天国に持っていけるものは何でしょうか?
地位も名誉も財産も何一つ持ってはいけないのです。
最後の時、わたし達一人ひとりがどのように生きたかを神様は問うのです。
人を傷つけ、苦しめて生きてきたのか、それとも人を愛し、助け、励まして支え合って生きてきたのか。
神様がどんな私でもいつも守り導き、愛してくださるように、私たち一人一人も周りの人を愛し、
支え、励ます生き方をしていきたいと思うのです。
この子供たちにも愛と優しさで周りの人を幸せにしてあげる人に育ってほしいと思います。
神様はわたし達に愛をくださいました。旭保育園ではこれからも愛に溢れた保育の中で子供たちと共に
笑顔で過ごしてまいります。
悲しみや苦しみのうちにおられる方に神様の癒しと慰めがありますように。
世界中で起こっている戦争が一日も早く終わりますように。
子ども達、全ての人たちが笑顔で過ごせますように。
神様の愛がすべての人に届きますように。
世界が平和でありますように。
平和を祈る
2025/08/07
8月は平和を考える時です。
日本では80年前に広島と長崎に原爆が投下され、多くの方々が犠牲になり、
今もなお苦しみと共に生きておられる方々がいます。
今も世界の様々なところで戦争が起こりかけがえのない命が失われています。
戦争はそれを始める人は戦争には行きません。
犠牲になるのは戦争をしたくもない普通の暮らしを望む人々です。
もし、今戦争が起こってしまったら、
今日、家族が戦争に行かなければならないとしたら、
今日、自分が戦争に行かなければならないとしたら、
今日、大切な人がすべて失われてしまうとしたら
私たちは戦争を起こすでしょうか?
私たちには言葉があります。言葉で語り合いお互いを知り共に歩む道を見出すことができるのです。
一方的に関係を切ったり、無視したりすればいつの間にか相手は黙るかもしれません。
しかし、それは相手を深く傷つけ相手の思いを踏みにじることにつながります。
神様は私たちに心をくださいました。心は使い方ひとつで善にも悪にもなります。
自分さえ良ければという思いでは人と人とが支え合って寄り添いあって生きることは難しいのです。
旭保育園では幼い子供たちにもこのようなお話を沢山します。
私たちが当たり前に生活しているこの状況は決して当たり前ではないことを伝えます。
大切な人がいつも笑顔で隣にいてくれることは当たり前ではないのです。
そして、一人ひとりが与えられた心を愛でいっぱいにして生きるのか
人への恨みや妬み、自分なんかという思いでいっぱいにして生きるのかを共に考えて過ごしています。
神様がお与えくださったかけがえのない命を、一人ひとりがその生涯を閉じるまで
感謝と喜びの中で生きていってほしいと願っています。
8月のこの時、戦争が私たち人間の心が生み出す醜い行為であることを考えるとともに
今ある幸せに目を向け、そばにいる大切な人たちとの時間を大切に過ごしてみてほしいと思います。
悲しみや苦しみ、痛みを抱えておられる方に神様の癒しがありますように。
前に進む事のできない状況にある方に神様が共に歩んでくださり、神様の導きがありますように。
世界で起こっている戦争が一日も早く収束しますように。
世界中の子供たち、全ての人が笑顔で生きられる世界になりますように。
世界に平和が訪れますように。
8月の聖句
2025/08/01
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
      わたしもその中にいるのである。  ~マタイによる福音書第18章20節~  」

イエス様は「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
と言われます。それは教会や旭保育園のようにキリスト教保育を行う園や施設、学校に至るまで様々です。
また、「イエス様のおなまえによって~」と祈るとき、どこにいてもイエス様はともにいてくださるのです。
私たちは、自分の居場所や環境などを自分で選んでおり、旭保育園も保護者の皆様が選んできてくださいました。しかし、そこには神様のご計画がありイエス様の名によって導かれていると聖書は語っているのです。
また、この聖書の箇所の中では、他者と心を一つに合わせて祈る時、その求めを神様はかなえてくださると言われます。なぜならそれはイエス様によって集められたものであり、そこには必ずイエス様が真ん中におられ共に祈ってくださるからです。
また、他者と心を合わせて祈る時、私たちは「自分さえよければ」という思いは無く「誰かのため」または他者との共通の目的のために祈るのではないでしょうか。そのように誰かのために祈る心こそ、神様の求める愛であり、今の私たちに必要なものであると思います。
旭保育園の子供たちは、毎日の祈りの中で「お仕事に行ったお家の人をお守りください。病気でお休みしているお友達が早く元気になりますように。」と祈っています。
また日本中、世界中で苦しんでいる人や悲しんでいる人のために祈っています。
0歳、1歳の子どもたちでも小さな手を合わせて祈っている姿、この子供たちの純粋な祈りの中に私たちは深い優しさと愛を感じながら日々喜びのなかで保育を行っています。
幼いころから感謝することや祈ることを語られて育つ子どもたちは必ず平和を創り出す子どもたちになると思います。この不安な世の中で誰かのために祈れる子どもたちは周りの人を幸せにする宝物です。
この旭保育園でたくさんの子どもたち、ご家族、地域の方々、支えてくださるたくさんの方々に出会えたことは
神様の導きであり感謝です。
8月は平和を考える月です。子どもたちと日々祈りながら過ごしてまいります。
一人ひとりが笑顔で過ごせますように。
痛みや苦しみ、悲しみのうちにある方に神様の癒しがありますように。
世界中の争いが終わりますように。
世界が平和でありますように。

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