お知らせ
10月の聖句
2025/10/02
「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです。~ ペトロの手紙Ⅰ第4章10節 ~ 」
聖書は、「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです」と言います。
「賜物」とはギリシャ語では「カリスマ」と言います。
私たちが「カリスマ」と聞くとそれは一部の人だけに与えられた特殊な才能だと
思うかもしれませんが、聖書では神様はわたし達一人ひとり皆にカリスマを
お与えくださっていると言うのです。
しかし私たちは、つい自分にはそんな能力はないと思ったり、他の人の能力を
うらやましいと思ってしまうかもしれません。
私たちが賜物は無いと疑ったり、不平を言ったりするとしたら、
それはわたし達自身が与えられた賜物を感謝せず、ないものばかりに目を
向けてしまっているからかもしれません。
旭保育園でもピアノが得意な先生、歌が上手な先生、運動が得意な先生、
お話が上手な先生とそれぞれが素晴らしい賜物を与えられて保育に励んでいます。
賜物は一人ひとりが異なっていていいのです。
その賜物を互いに用いて補い合い、助け合いながら神様に喜ばれる働きをしているのです。
また、旭保育園では日々の保育の中で子供たちがその与えられた賜物に気づけるよう
様々な活動に取り組んでいます。
子どもたちの賜物は日々の生活の中で、一つ一つの行事の中で発揮されて子供たちを
輝かせてくれます。
何より旭保育園の子供たちは誰にでも優しく大きな愛という賜物を持っています。
一人ひとりが賜物を用いて輝きながら歩んで行ってほしいと思います。
子ども達が日々笑顔で過ごせますように。
世界が平和でありますように。
感謝
2025/09/11
保護者様よりナスを頂きました!!丸くてピカピカのナス
早速素揚げにしてうどんのつゆにつけてみんなでいただきました。
身がやわらかくてとてもおいしかったです。
温かいお心遣い感謝です。
ありがとうございました!!
絵本を頂きました!
2025/09/02
いつも子供たちの月刊誌を届けてくださるこどものともの冨満さん。絵本が大好きな旭保育園の子供たちのために絵本をプレゼントしてくださいました。
りす~ひつじ組の子供たちに、秋祭りの時にお渡ししたいと思います。
タブレットやスマートフォン、テレビなどがあふれている今の世の中ですが、
子どもたちはいつの時も絵本が大好きです。
クラスで全員に読み聞かせをする時も、自由時間に一人ずつ膝に座らせて読んであげる時も
子どもたちは同じ絵本でも何度でも「これ読んで!!」と
嬉しそうに持ってきては真剣に聞いて楽しんでいます。
絵本を読む時、子供たちの目、耳、頭はフル回転です。
絵本を通して子供たちは言葉の意味や使い方だけでなく
登場人物の感情を感じ取り、沢山の想像力を働かせて情景を楽しみます。
次々と勝手に場面が変わるテレビやゲームでは得られないことです。
また、読んでくれる保育者やお母さん、お父さんとその喜びや感動、気持ちを
共感できることも絵本の大きな役割です。
今、人の気持ちが分からない、人の思いに寄り添えない子どもや大人が増えています。
それはいつしか自分だけが良ければという生き方につながってしまうのです。
旭保育園では、沢山の絵本を通して、子供たちの心を豊かに育む取り組みをしています。
このように子供たちのために、旭保育園を支えてくださる方に感謝です。
ありがとうございます。
9月の聖句
2025/09/01
「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない。~ 詩編第23編1節 ~ 」
今月の聖句は神様を私たちを守り、必要を満たしてくれる慈悲深い羊飼いに例えています。
この聖句で「主はわたし達の羊飼い」ではなく「主はわたしの羊飼い」と言うのは
主がわたし達一人ひとりを大切に慈しんでくださることを表しています。
聖書の中に迷子の子羊のたとえ話があります。この羊飼いは100匹のうち、
迷子になってしまったたった1匹の子羊を見捨てることなく探し続け、探し出して抱きしめます。
この羊飼いの姿はイエス様であり神様なのです。
神様はわたし達一人ひとりを大切に、誰一人失われてはならない命として守ってくださいます。
しかし私たちの人生には必ず死があります。もし、死なない人生なら私たちは幸せでしょうか?
私たちが死なないのなら死への恐怖は無くなりますが、それがどんな状態でも生きていなければ
ならないとしたら、そこには絶望が起こってくるのです。
私たちは、死があるからこそ生きることの意味を大切にし、生きていることへの感謝を知ります。
神様はわたし達に必要なものを全てご存じで備えてくださいます。
神様はどのような時にも私たちを守り導いてくださる方であるからこそ
聖書は「わたしには何も欠けることがない」と語ります。
私たちはつい「あれも無い、これも無い」と不平を言ってしまうかもしれません。
それは、今持っているものでなく、持っていないものに焦点を合わせてしまっているからではないでしょうか。
私たちはいつか死を迎えます。その時に私たちが天国に持っていけるものは何でしょうか?
地位も名誉も財産も何一つ持ってはいけないのです。
最後の時、わたし達一人ひとりがどのように生きたかを神様は問うのです。
人を傷つけ、苦しめて生きてきたのか、それとも人を愛し、助け、励まして支え合って生きてきたのか。
神様がどんな私でもいつも守り導き、愛してくださるように、私たち一人一人も周りの人を愛し、
支え、励ます生き方をしていきたいと思うのです。
この子供たちにも愛と優しさで周りの人を幸せにしてあげる人に育ってほしいと思います。
神様はわたし達に愛をくださいました。旭保育園ではこれからも愛に溢れた保育の中で子供たちと共に
笑顔で過ごしてまいります。
悲しみや苦しみのうちにおられる方に神様の癒しと慰めがありますように。
世界中で起こっている戦争が一日も早く終わりますように。
子ども達、全ての人たちが笑顔で過ごせますように。
神様の愛がすべての人に届きますように。
世界が平和でありますように。
平和を祈る
2025/08/07
8月は平和を考える時です。日本では80年前に広島と長崎に原爆が投下され、多くの方々が犠牲になり、
今もなお苦しみと共に生きておられる方々がいます。
今も世界の様々なところで戦争が起こりかけがえのない命が失われています。
戦争はそれを始める人は戦争には行きません。
犠牲になるのは戦争をしたくもない普通の暮らしを望む人々です。
もし、今戦争が起こってしまったら、
今日、家族が戦争に行かなければならないとしたら、
今日、自分が戦争に行かなければならないとしたら、
今日、大切な人がすべて失われてしまうとしたら
私たちは戦争を起こすでしょうか?
私たちには言葉があります。言葉で語り合いお互いを知り共に歩む道を見出すことができるのです。
一方的に関係を切ったり、無視したりすればいつの間にか相手は黙るかもしれません。
しかし、それは相手を深く傷つけ相手の思いを踏みにじることにつながります。
神様は私たちに心をくださいました。心は使い方ひとつで善にも悪にもなります。
自分さえ良ければという思いでは人と人とが支え合って寄り添いあって生きることは難しいのです。
旭保育園では幼い子供たちにもこのようなお話を沢山します。
私たちが当たり前に生活しているこの状況は決して当たり前ではないことを伝えます。
大切な人がいつも笑顔で隣にいてくれることは当たり前ではないのです。
そして、一人ひとりが与えられた心を愛でいっぱいにして生きるのか
人への恨みや妬み、自分なんかという思いでいっぱいにして生きるのかを共に考えて過ごしています。
神様がお与えくださったかけがえのない命を、一人ひとりがその生涯を閉じるまで
感謝と喜びの中で生きていってほしいと願っています。
8月のこの時、戦争が私たち人間の心が生み出す醜い行為であることを考えるとともに
今ある幸せに目を向け、そばにいる大切な人たちとの時間を大切に過ごしてみてほしいと思います。
悲しみや苦しみ、痛みを抱えておられる方に神様の癒しがありますように。
前に進む事のできない状況にある方に神様が共に歩んでくださり、神様の導きがありますように。
世界で起こっている戦争が一日も早く収束しますように。
世界中の子供たち、全ての人が笑顔で生きられる世界になりますように。
世界に平和が訪れますように。

